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仏教者の先生との対談のお話があったとき、大先生とお会いするのはちょっと不安ではずかしいけど、きっと「生き方」の参考になることを聞き出せると思い、おもいきってお受けしました。 私は10年くらい前に、白血球の分布が自律神経支配を受けて変動するという法則を見出してから、その後、自律神経に最大限の影響を与えているのは、私たちの生き方であることに気づき始めました。
そして、生き方の無理がまず自律神経の働きを偏らせ、その結果として病気が発症するという流れがわかってきたのです。 人間は長い人類の歴史の過程でいろいろ工夫をこらして、より良い生活や生きる考え方を追究してきました。
そして、今の日本のようにずいぶん豊かな暮らしができるようにもなりました。 それでも生き方の偏りが生まれ、病人は増えることがあっても減っている様子はないのです。
この背景には、現代人が心がけなければならない「生き方」の問題があるように感じていました。 そして、この機会に仏教者H先生のお考えを聴こうという気持ちになったのです。
これまでの私の主張は、病気は遺伝子異常で起こることは少なく、多くの病気は自律神経系が一方に偏った結果として起こっているというものです。 長時間労働や心の深い悩みは自律神経のうちの交感神経を緊張させてしまいます。

交感神経は本来は活力のある行動や体調をつくる大切な神経ですが、緊張しっぱなしでは脈が速くなったり、血圧が上がったり、血糖が上昇したりしてしまうでしょう。 これは、不安、不眠、高血圧症、狭心症、糖尿病、歯周病、クローン病、潰傷性大腸炎、腰原病、ガンなどにつながってくるわけです。
一方、休息の自律神経といわれる副交感神経側への偏りもそれなりに危険です。 休息、睡眠、消化管活動を支えている副交感神経も行きすぎることがあります。
とくに、現代人は飽食の時代にあって食べすぎやすいし、便利になりすぎて運動不足になりがちです。 今の子供たちが外遊びする機会が少なくなっているのもこの流れをつくります。
このような副交感神経側に偏る楽をしすぎる生き方は、無気力、疲れやすさなどを伴うようになってくるのです。 筋力不足による大人の腰痛、子供の姿勢の悪さなどとつながってもいます。
アレルギー疾患の成り立ちもこれらと関連しています。 最近話題の不登校やキレる子供とも関連があります。
では、私たちはなぜ無理をしたり、悩んだり、逆に楽をしすぎたりするのでしょうか。 ここの問題に、先生の考え方が多くの解答を与えてくれるように思っていたのです。
先生は「世間の物差し」「ほとけの物差し」という言葉をよくおっしゃっています。 日本の社会の中では働くことは美徳でしょう。
しかし、ここに落とし穴もあるのでしょう。 まじめで働きすぎて体を壊す人が多いのです。
また、世間の常識にとらわれて深い悩みに陥ることも多いでしょう。 こんなとき、先生の提唱する「ほとけの物差し」も使ってみる必要がありそうです。

すると悩みから脱却できることが多いように思います。 先生のお話や先生御自身の生き方を学んで、「ほとけの物差し」を知ることは、私たちの生き方の偏りを気づかせ、自律神経レベルを整えることを意味しているのではないかと思って対談にのぞみました。
話し終えて、そのかなりの部分にお話が参考になったような気がしています。 皆様も楽しみにしてみてみてください。
日本人は、病気に対して大いなる錯覚をしています。 いや、錯覚をさせられているといったほうがいいでしょう。
なぜなら、病気とはいったい何かということについてしっかりとした認識をもっていないからです。 すべての病気は、外傷を除き、細菌やウイルスによって起こると思っているようです。
なぜ、病気の原因は人体の外部にあると思ってしまったのでしょうか。 それは、一九世紀の後半、ドイツの細菌学者コッホが結核菌やコレラ菌を発見し、病気の原因にしてしまったからです。
当時、これらの細菌は人間の人体を害して多くの死者を出し、社会に大混乱を招きましたから、病気の原因がわかった以上、こうした細菌と徹底的に闘って撲減しようと考えるようになり、さまざまなワクチンが開発されました。 こうして、西洋医学の進展とともに、「闘病の思想」、あるいは「病気は治療によってかならず治る」という流れが強まっていきました。
しかし、その後の研究でわかったことですが、ワクチンの開発と感染症の減少はかならずしも一致せず、むしろ、生活環境や衛生状態の改善によって、こうした細菌が姿を消したといわれています。 はたして、ワクチンや抗生物質がどの程度効果があったかは、とても疑問です。
ところで、病院に行って驚くのは、いつも大変混雑していることです。 看護師たちは忙しそうに動き回り、最新鋭の医療機器もフル稼働のようですが、病人の数は減るどころか、ますます増えているのが実情で、医療ミス事件などが頻発していることなどからも、医療現場がかなり混乱しているということを感じます。

一方、患者のほうは病院に行けばかならず病気は治ると思っていますから、医療に対して多大な期待をしますが、これも裏切られることが多いようです。 「病気は病院に行けば治る」「薬を飲めば病気は治る」という神話に、大きな落とし穴があるからです。
そこにメスを入れないと患者はますます増え、日本人は病気の虜になってしまい、検診技術の向上が、病気でもない人を病人扱いする異常な世界になってしまいます。 はたして病気とはそんなに怖いものなのか、あるいは、退治しなければならないものなのかを真剣に考えたほうがよさそうです。
宗教という観点から現代の医学をみると、おもしろいことに気がつきます。 世界の宗教は大きく分けると、砂漠の宗教と、モンスーン地帯の宗教の二系統があります。
前者はヘブライの思想から生まれたユダヤ教で、そこから出てきたのがキリスト教とイスラム教を含めた一神教です。 この砂漠の宗教は、砂漠というきびしい環境のなかで人間が生きていくための知恵を説いています。
また、『旧約聖書』にあるように、人間は神の被造物ですから、神が私たちに生命を与えてくださったという考えになります。 つまり、生命の原理は人間にあって、死の原理が自然のほうじあるということになりますから、神から与えられた命を守るためには、外部から人間に対してさまざまな悪影響を及ぼす自然の猛威を制圧していこうという考え方になるのは当然です。
病気も外敵です。 人間にとってマイナス条件になるものは、すべて闘って勝利する対象になりました。
病気にも、立ち向かっていけばかならず勝利するというのが「闘病の思想」です。 しかし、いくら闘っても死はかならずやってきます。
それは100パーセント確実です。 いくら頑張っても、最終的には負けるのですが、始めから負けるのが決まっているのに、何のために闘うのか日本人にはさっぱり理解できません。

西欧人の根底にある思想は、負けるのがわかっていながら闘うというものです。 たとえば、欧米人は、ギャンブルが大好きです。
しかも、ギャンブルをやるのは紳士で、一般の庶民はあまりやりません。 なぜ、紳士がギャンブルをやるかといえば、自分が上等な人間であるということを社会や一般庶民に誇示したいからです。